カテゴリ:ふるさとガイド( 9 )

伊久智神社で「湯立神事」行われる

 1月28日10時30分より伊久智神社にて「湯立神事」 が執り行われました。
湯立神事は湯立神楽とも呼ばれるそうです。神前に大きなお釜を置きお湯を沸かし、釜の熱湯に笹を浸して周りの人に振りかける儀礼を「湯立」といいます。拝殿の前には大きなお釜が置かれて、氏子や神楽のみなさんはじめ大勢集まっていました。

 御祈祷の後に、写真のような儀式が行われるものです。笹を熱湯に浸して周りの人に振りかけます。これは、邪気を払い無病息災・家内安全をお祈りするのです。そして、このお湯にはお神酒も入っていて、神事が終わるとこの水を持ち帰り、家の前に振りかけてお祓いをします。

 昔の行事として行われていたことは郷土資料館の講座で知りましたが、見るのは初めてのことです。宮司にお聞きしますと、伊久智神社では明治の初めまでこの神事が執り行われていましたが、近年は行われていませんでした。それを昨年から復活したということです。知多半島でこの神事が行われているのは伊久智神社だけといいます。古くは、湯立のことを「問い湯」とも呼び、占いの一種とされていたといいます。では「おみくじ」などと同じようなものということでしょうか。

 以上、東浦でも珍しい行事なので紹介しました。

d0247833_16383525.jpg
宮司が祝詞を上げます
d0247833_16393189.jpg
お釜のお湯に笹を浸して振りかけます
d0247833_16401082.jpg
お釜のお湯をいただいて持ち帰り、家の前に振りかけます



[PR]
by higashiura-k | 2018-01-28 16:45 | ふるさとガイド

全国産業観光フォーラム、半田市で開かれる

1月25日午後から半田市福祉文化会館において、全国産業観光フォーラムが『愛知県観光交流サミットin半田』と併せて開催されました。

 お役所の主催するものだけに式典に1時間ちかくをかけていました。内容は記念講演・事例発表・パネルディスカッションとその後に元JR東海の社長を務められた須田寛氏のお話がありました。事例発表の中身はいずれも苦労しながらも、仕事が順調に展開したことで、そのことが地域の活性化に結び付いたものでした。 つまり、産業観光という特別なものを創ったということではなく、お菓子作り、味噌たまりづくりを、より皆さんに知ってもらうことで人が集まってくるようになった、というものです。そのことは、食べる、買うだけでなく、どのようにして作られるのか勉強する、どのようにして作るのか体験することを通して、人々の知識欲を満たし、暮らしをより豊かにすることに貢献しています。つまり、地元にある産業をより多くの人に知ってもらうことが地域を元気にすることになり、それこそが産業観光と言えます。

 東浦町は俗にいう観光地ではありませんが、歴史や文化においてすばらしいものが数多くあります。何といっても徳川家康の母『於大の方』の生誕地です、さらに織田信長が初めて鉄砲を使った戦『村木砦の戦い』の地でもあります。少し前までは綿織物の国内三大生産地の一つとして東浦の経済を支えてきました。さらに国文学者の久松潛一氏・久米常民氏を輩出しています。

 こうしたことに加えて、東浦町においても元気な企業や事業主さんはたくさんおります。今後みなさんの努力や発信をより効果的なものにするために、観光協会の取り組みを進めていきたいと考えております。

       (写真はいただいたたくさんの資料・パンフレット) 

d0247833_14381748.jpg


[PR]
by higashiura-k | 2018-01-27 14:43 | ふるさとガイド

藤江神社で文化財消防訓練

 1月21日9時30分に藤江神社に集合して、文化財消防訓練が行われました。これは昭和24年の法隆寺金堂の壁画が消失したことを戒めとして、昭和30年から「文化財防火デー」と定めたことによるものです。

 内容はいつものように消防車による放水訓練と、参加者は消火器と消火栓の取り扱いを行いました。消火器の取り扱いは体験することも容易ですが、消火栓の取り扱いはこんな時でないと体験できません。参加者は二組に分かれて取り扱い体験をしました。最後に神谷町長は『日本は木の国です、文化財を火災から守ることは私たちの務めです。とっさの時の行動は訓練していないとできるものではありません。』 と、訓練が大切だという趣旨のあいさつをされました。

d0247833_12573940.jpg

d0247833_12580105.jpg



d0247833_12590595.jpg


d0247833_13000562.jpg







[PR]
by higashiura-k | 2018-01-21 13:02 | ふるさとガイド

天白遺跡の説明会を開催

 1月13日発掘調査が終わった天白遺跡の説明会が行われました。会場は多くの人で埋められて、関心の高さがうかがえました。町を代表して今回の意義を教育長があいさつし、課長・係長が具体的な説明をしてくれました。しかし、多くの人の話し声であまり聞いてはおりませんでした...が、会場には神谷町長はもちろん、伊藤衆議院議員・河合県議の顔もありました。
 これだけの規模の発掘は最近ではないということです、でも、調査期間が限定されていることから機械であらかた掘り出してから手作業で発掘したので、出土品を見逃しているものも多くあるのではという声も聞きました。いろいろな制約があるのもやむを得ないことであり、今回の調査を行ったことはとても意義あることだと思います。
 出土品が展示されていましたが、弥生時代・古墳時代の壺などの土器と、小さな勾玉が一つあったのが印象的でした。それにしてもこれだけたくさんの住居跡が見つかり、東浦には大昔からたくさんの人が住んでいたことがはっきりしました。
d0247833_11324256.jpg
             教育長のあいさつ
             
d0247833_11330873.jpg
             
d0247833_11352251.jpg
             左下が小さな『勾玉』です
d0247833_11361397.jpg
             住居の跡です






[PR]
by higashiura-k | 2018-01-19 11:41 | ふるさとガイド

地区に残る「地蔵盆」

 東浦のブログ集に石浜の「畑中地蔵盆」、生路の「荒子地蔵盆」を伝える記事が載りました。地蔵盆とは、親より先に亡くなった子供が賽の河原でいじめられているのを見た、地蔵菩薩さまが助けたことから、子供たちの成長を見守る仏様として祀られていると言われます。
 昔は子供たちも多く集まって、お菓子をもらったものです。その場で「ご詠歌」や、数珠回しのあったところも...しかし、最近は子供の人数も少なくなり、どのお地蔵様も昔のような賑わいがなくなりました。生路の荒子地蔵では隣組が持ち回りで役員を務めて運営されています。中には「こんな事もかなわんな」と言う声もあるのと、新しく生路に住むようになった人たちは「どういうものなのかよく分からない」と言う声が多いのも事実で、伝統的な行事を続けていくことの難しさがあります。
 だからと言って、何でも切り捨てて楽になることが良いとばかりは言えません。郷土の歴史・文化や誇りを次の世代に引き継ぐことこそ、私たちができることではないでしょうか。
d0247833_14065768.jpg
生路「荒子地蔵盆」

d0247833_14090045.jpg
石浜「畑中地蔵盆」





[PR]
by higashiura-k | 2017-08-24 14:11 | ふるさとガイド

「丁石」が一つ消えました

 弘法道を歩くと次の札所までの距離を示す「丁石」と、曲がり角には方角を示す「大師道」と彫られた石柱が立てられました。東浦町内にはこれらの石柱が、比較的多く残されています。しかし、道路の拡幅や家の工事などでその数はだんだん少なくなりつつあります。
 9番札所の石浜の明徳寺から10番札所の生路の観音寺へ向かうさいの、「一丁目」の丁石が家の工事のために撤去されました。観音寺の住職さんにお話を聞くと、最近は歩いてお参りに来る方はめっきり減っており致し方ないと、おっしゃっていました。
 この「丁石」は東浦にとって大切な文化財であると思います、残念なことですが今後は適切な保管を関係者にお願いしたいです。

d0247833_20221627.jpg
d0247833_20232584.jpg



[PR]
by higashiura-k | 2017-08-03 20:27 | ふるさとガイド

子供たちに入海神社のお話をしました

 15日午前10時から11時の間、入海神社にて緒川小2年生88名の「おがわの町たんけんたい」を案内しました。神社の案内は大人でもなかなか難しいものです、子供たちに分かりやすく説明するために・優しい言葉・写真など使う・ざわつかないように座らせて説明しました。
 主な内容は①神社のお宝②貝塚の歴史③弟橘媛伝説④夜泣石⑤中川南巌石碑についてお話ししました。いろいろな質問がありましたが、狛犬の台座に刻まれた「静波」「海相」の意味について聞くなど、なかなかの観察力と感心しました。今回は神社の氏子総代さんから声がかかりましたが、子供たちに地元の歴史を伝えることは大切なことで、地域学習の持つ意味は大きく担当したふるさとガイドのみなさんも、喜んで対応していただけました。
d0247833_13481119.jpg
d0247833_13490385.jpg


[PR]
by higashiura-k | 2017-06-16 13:49 | ふるさとガイド

オモダカが大きくなりました

 江戸時代の緒川は、緒川藩一万石の城下町でした。城主の水野家四代水野忠政の娘「於大」は岡崎の松平広忠に嫁ぎ、後に家康となる竹千代を生みました。しかし、兄の水野信元が織田信長と手を結んだことで離縁されます。その後、阿久比の久松利勝に嫁ぎ男の子を3人産んでいます。そして、於大とその子供たち、信元をはじめとする兄弟、さらにその子供たちが、260年に及ぶ徳川の天下を支えたのです。
 この水野家の家紋は「沢瀉」です、本家筋と分家筋で少し違いますが、いずれも「沢瀉」をあしらっています。その沢瀉が田んぼの脇で大きくなっているのを見つけました。下の写真がそうです、花が咲く時にはもう一度写真を撮ろうと思います。

d0247833_20175025.jpg
d0247833_20185987.jpg

[PR]
by higashiura-k | 2017-06-06 20:19 | ふるさとガイド

村木砦の戦い跡を巡りました

 5月27日41名が参加してふるさと散歩が開催されました。午前9時30分から2時間ほどかけて、まずは織田信長が本陣を置いた村木神社に参拝して境内を見学しました。特筆すべきは右手奥に三山信仰の碑25基があります。江戸時代から明治の終わり頃にかけて、白山・立山・富士山を一月ほどかけて村の代表が参拝した記念碑です。これだけの規模は日本一といわれています。
 次に織田信光が陣をおいた「後狭間」、戦勝祝いをした「飯喰場」へ、そこから信長の命で村人が処刑された(今川方に協力したとして)「処刑場跡」を訪れました。最後に「村木砦跡」へ、ここでは手作り鎧の会のみなさんがホラ貝を吹いて迎えてくれました。戦の概要を説明した後で、手作り鎧の会より鎧・鉄砲などについて説明を聞き、みなさん熱心に聞き入っていました。

d0247833_18295159.jpg
d0247833_18290535.jpg

[PR]
by higashiura-k | 2017-05-27 18:30 | ふるさとガイド